場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

食卓が別れてから

食卓が夫の癇癪でわかれて、食費も半分しか渡されなくなり、こんな生活にも慣れた。


私はあまり食べないから、黒毛和牛と刺身とお寿司と野菜とパンと牛乳しか、ほとんど買ってこない。


食べるものが固定され、更にランクアップした豚肉もロースの薄切りしか買わないし。細切れとかにしていたけど、全く縁がなくなった。


食費と食卓を別にしたら、シンプルだけど豪華な食卓になって食も進む。

今までは没個性になって、夫の顔色をみてメニューを考えて、疲れてた。疲れるから作るのもおざなりになったし、いやだった。


別々になって良かった。


私は人の癇癪とか、わけのわからない癖には付き合うことにしてる。

めんどくさいから。どうせ、自分のしたいようにしたいだけだろうし、諦める。


中学生の頃から、諦めをしり、人への情熱を捨てた。


夫とは、生活サイクルが違うので


あまり、顔を合わせなくなり、合わせなくても生活でき、


必要性を感じなくなった。


話は友人の方が気が合うし


アスペルガーなのに、アスペルガーだと認めない夫


話をしても嫌がるし、人と話をすることに困難があるし…意見の交流、会話を楽しむなど永遠にないし、できないし、話し合いをしたらあるのは争いだけである。


だから、しない。


夫がいなくても、私は別に困ってない


一緒に住んでいながら、


こんな生活にも慣れた。慣れるの早いな~、。