場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

病気で思うようにならない

病気という力が、私の道を邪魔し、


違う世界へ引っ張ってゆき


こうありたい自分と


こうである自分に


真っ二つに引き裂かれ、結局は


ジグザグなつぎはぎな人生になった


自分の夢など遠くて


美容師、看護士になりたかったけれど


病気だから資格がなかった。


18、19歳で重症対人恐怖症つまりは


重度のノイローゼ


這い出たくても出口がわからない


四方八方が真っ暗で、エネルギーだけはあり


必死に道を探してきた。もう、なんだか


疲れた。なんでもいい。


私の生まれ育った生家は、かなり


険しい家庭だったらしく、当時の精神科医は


私に非常に同情し、一番に診ると言った。


私はただ何が起こったのか何をどうすれば


苦しさから逃れられるのか


どっちに進めばよいのかさえ、奪い取られた気分で、精神科医の声を遠くに聞いてた。


でも、有り難かった。


それから、私の父のように私を全力で支えてくれた。


それだから、負けないようにこれた。


精神科医に負けず嫌いですね、と


呆れられた。


そうか、私は負けず嫌いなんだと初めて知った。


あれから、


私が病んだ家族で


唯一の弟は


病んだ家族がいなくなった後も


病みだけを大切に残し、


私をスケープゴートにして


あの家を再現した。


そのことにも気づかず、私が傷つくことは


自由にできて、


ひどく傷ついて縁を切った。


スケープゴートにする家族はどこまでも


どこまでも毒がおいしくて、それを


手放さない。


まだ生き生きとしている、死なないその


醜い病んだ精神に、


私は真っ暗な目で怒るしか無かった。