場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

山本屋総本家

山本屋があったから、


ひょろっと入ってみた。


メニューを入り口でじーっとみていたが


高い…1990円…もつ煮込みうどん、天ぷら煮込みうどんすべて1990円くらいで、暑くなるとなぜか、


本格的な煮込みがたべたくなる


が、私は一番シンプルでお値段の安い


1000円ほどの、味噌煮うどんにした。



うふふ、楽しみだわ~♪


こういう時の私は対人恐怖症があまり


でない


出ないコツがあり、まわりをキョロキョロみないで、集中することです。


でてきた、サラダのような漬物をぼそぼそ食べてたら、味がないので、しょうゆをかけた

あとからそれが、漬物だとわかった。


シンプルな味噌煮が運ばれてきて、一口

早くさっさと帰りたくなった。


ぐつぐつ煮込んでないのである


ぐつぐつ、してよ


まったく煮込んでなさそうな、煮込みうどんにがつかりしながら、早めにたべた。



名古屋の


中日ビル地下の山本や総本家


あそこのうどんは、


ちゃんとしてたな~

我慢がクセになってませんか?

きのう、


雇用保険の説明会で、大ホールに行った。


はじめていく施設で、また凝った造りで


出入口がわからなかった。


なんとか中にはいり、そこら辺で


本当は嫌で嫌で仕方なかったんだ


はじめていく場所、はじめて、はじめて


もう疲れたよ。


私さ生きるためにどれだけ我慢してきたかわからない


それにとても、そこで一時間だまって


話を聞くような体調ではなくて、


かばんの中の薬を口に含んだ。


それなのに、あんまり体調も気分も変わらなかった。


職員の人に、


病気のことを話した、対人恐怖症で


人に囲まれた場所にいると不安になると。


我慢はできるけど、歯をくいしばれば


できるけど、いつものように


なんか、もう


いつまで我慢するんだよ?て気分になり


職員の方は体調が悪いなら仕方がないと


席を外すことを許してくれた。



人生はじまってから、ついてないことが


つづいた。


重症対人恐怖症になってからは、一人暮らしになり、


死にそうになりながら生きた。


毎日毎日。悪夢からさめることはなかった。


さめたいのにさめなかった


忘れたいのに忘れない記憶。


傷。


そんなになっても、まだ


我慢をつづけなくてよいと思った。


わがままに生きようよ


我がまま


帰りはへとへとになって帰った。


私は引きこもり!になることに決めた。


これでも、人生初の引きこもりだ。


引きこもってなにがわるいんだ


むしろ、引きこもる場所をもたねば


間違うばかり。

ただ男と云うだけで


ただわたしが女


ただ夫は男という


ただの男というだけで


一人だちもできづ、パートもダメになった


誤字脱字だらけの私を


養ってくれる夫?


私は一文も稼げない女になりました。


なぜ、みんな


ダメになるんだ


と、悔しがっていた夫


それから、


私のこずかいは上がり


私のお財布はハッピーになった。


こんな一文も稼げないわたしに


こずかいを上げてくれた



養ってくれる。


なんにもできない私を


このミラクルな不思議


時々、恐ろしくなる


自分で稼ぐのが当然な気がする。


今までそうやって


飛べないハードルを


力もないのに飛ぼう飛べると


思ってた。


100回以上転職したが、


私にできることってなんだろう。