場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

肉なんて

肉なんてものを落として


足から太ももから



自由にしゃなりしゃなりと



爪先であるくような


そんな


生き方が美しい


夢に一番近く


自由にすべてに


自由になれる


エレガント

私は誰とでも結婚できる自由だ!

やとと、


そんな感覚になれたような気がします。


ちょっと遅いけどね


だったら、自由に!


もっと合う人を探せばよかったけど


今は今です。

黄色い眼の家族

すべてが透明ではなく


黄色くしか見えない一族。


そんな気がする


私を小さな頃から毎日いじめた姉は、


発達障がいのグレーゾーンだということが、


数年前にわたしの耳に入った。


姉とは危なくて会えなくて、とにかく


距離を起きたくて、遠くに行きたくて行きたくて、


離れたくて離れたくて


母はネグレストで、たまに勉強をおしえる


時間ができたと私をよび、母は勉強をおしえ


出すのだけど、


いつも母の都合ばかりで、私がお願いした


わけでもなかったから


時々、気がそれて、気になる方をみてしまうと


ピシャーン!と思いっきり頬を叩かれるので


痛くて、突然でびっくりした。


母の中の悪魔は


いたはずだ。


なにが正しいというのだろう


母にとって、私はいうことを100%聞かなければ


顔を叩いてよい対象だったのだ。


遊んでももらえず、姉にいじめられ


泣いて泣いて助けてと叫んでも無視され


近づくと、あっちへ行ってなさい!


と、


生まれつき話せなかった私は


母の気持ちを苛立たせたのかもしれないが


それは、すべて、母の未熟というか


発達障がいだったのではないかと


今は、おもう。


先日、母の弟のおじさんに会いにいったら、


もしや、おじさんも発達障がいではないか?


と思わされる箇所があった。


いくら、訴えても届かないこころ


黄色い眼をした人たち。


けして、透明ではなく、


黄色にしかみえない


みえないものがいっぱいあるんだろう


ふつうっていったい


なんなんだろう


おじさんは、いつもいう


お母さんには、本当によく遊んでもらったと。


他のねいさんたちは、あまり遊んでくれなかったが


母に


遊んでもらったことなど


子どもである私にはなく


乾いた眼で見られていたことが


印象にある。


おじさん、お母さんは


まったく自分の子どもたちとは


遊ばないし、楽しい会話も


あまりなかったんだよと


いったところで


母とおなじ


黄色い眼をしたおじさんには伝わらない


そういうことなんだ。