場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

悲劇のヒロイン

私、わけもわかんないまま


大きなそれの病院に行ったわけだけど、


本当に見たものはおどろおどろしい世界で、

患者だけじゃなく、看護士達もいかれた感じで非常に恐かった。


朱に染まれば紅くなると同じで、本当に細かく説明しないけど、ひどいもんだった。


私はその中に迷いこんだような感じだった。

私自身は慣れなくて、とにかく恐い人が患者も看護士も多くて、


認知の歪みもかなりあり社交性もなくおまけに重症対人恐怖症になった私は生きて行けなかったから、身を寄せただけだったんだとそこしか他になんにもなかった。


なんにも


それ以外なんにもなく


だから行くしかなく。


主治医もそんなことを言っていた

ここじゃないどこかがいい。


私と同じ年くらいの若い看護士たちとわたし


悲劇のヒロインになっている


と小太りなそばかすが多い看護婦が言った。


悲劇のヒロインってのは何なのか?


どういう意味なのか?わからなかった。


だから、主治医に聞いてみた


私は悲劇のヒロインなんですか?


看護婦の○○さんに言われましたけど?


悲劇のヒロインってなんですか?


現実のヒロインだよと先生は言った。

悲劇のヒロインと現実のヒロイン

笑えてくる。

どちらでも構わない(笑)


そんな事より病気を治してよ。

くそくらえだわと

今ならおもう。


どうでもいい…

あなたもじゃあ悲劇のヒロインになったらいかが?


父が1ヶ月もしないうちに亡くなると聞いた一人になりたくなくて、みんながいるところで膝をかかえて涙が出て止まらなくて。

しらしらと流れてきて何だかなと止まらなくて黙って泣いていた。


そしたら言われた。


だから、これ以上

どうしろというのだ。


そんな風に勝手にいう人ばかりだった。


現実を悲しいと思ってはいけないのだろうか?

どうしようもないできない害な看護婦だったんだろう。