場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

砂漠の中

灼熱の砂しかない砂漠に


永遠にいるような、


仕事ができなくてしない日々はずっと


砂を噛むような日々で


灼熱の太陽にうなされ、だらだらと脂汗の中で目が覚めるような本当にそんなような日々で、


あの虚しさ、あの延々と続く絶望感と


現実の相性の悪さ…


自信をすべてぬぐいとり奪い取りいとも簡単に鬱々とした気分に覆って灰色な気分で、ただ生きていた。


なんの意味があるのかも全くわからず

考えても考えても浮かばない、どこにも答えがない。


今、考えれば私を奪われて占領されていたんだからただ私は操り人形で、全部の私の思考を奪われて発芽しないまま中身になんの私というものもこれと言ってなく


中身のない人間がなにができるか?と言ったら何にもだった。


なにかをしても意味を感じない。


達成感もない。


やらされている感じ


ずっとそう


私が私でないように私の気持ちが私にはないようにずっとそうやって私を奪われてきたので、


自分がなく、なにをやりたいのか?さえ

わからない状態だったのだとおもう。


ただ責めるばかりな日々

心を奪われた人間じゃなく人形のように

私は生きていかねばならなくて


人間である私は人形にはなれず

だけど心のなかには私が殺されていて

いなくて


なにをしたら、なにができるのかさえ

浮かばずわからなかったのだとおもう。


そんな心の状態を誰が知ると言うのか?


自分でしかわからなくて、

自分でしか解決などできなくて


この声、想いは誰?と

思った時に姉と母だとわかってから、私は私を取り戻すことにちょっとだけだけど成功して行った。


愛って、


相手は自分と違う人間で、それを尊重することもまず大事なマナーであり愛である。


私の気持ちを言っても、

それは違う本当はこうなんだろう?

と聞いてはくれなかった。


私の事実より、姉や母の感覚がいつも重要視され、私が奪われていったのかも。


人間になれていない感覚があり


私は私をおそれていた。


ビクビクしていた。


仕事をしない日々は私を憂鬱にさせる


あの延々と続く飢餓感…


やけつくような


あんなよどんだ苦しい世界にいるのが


嫌で働いている。


仕事をしないで生活できる自信がない。