場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

むかし、父がまだ生きてる時に


私は何度も仕事をみつけ車に荷物をすべて乗せて家を出るんだけど、治療はしてたものの社交性の無さと重症対人恐怖症と人間不信なせいだと思うけど、辞めては家に帰るの繰り返しで、


やる気はバンバンにあるのだけど折れてしまい


姉と弟は一人で平気なのに、私は…と

情けないなって。

でもスケープゴードになってたのは私ひとりなんだから、打撃を受けて弱くなっていても

当たり前だったかな?と思う。


だけど、

父は言葉の暴力や、つながり方がモラハラ意地悪まんさいで、子供嫌いで、それも母が愛情でつながらない人だったのもあると思うが


いつも自分を心の中では責めていて、そのストレスで世捨て人みたいになり、子供に当たりいじめるという構図で


そんな父から逃げたかった。


逃げるために入院をした、実際私はノイローゼだし

余計、父といるとノイローゼになり


入院すると、毎日父から看護ステーションに電話がかかり、私は呼び出され、話し相手をさせられた。

看護婦が断っても、娘なのにどうして出さないのか!と執拗に電話を切らない


だから、かわらされた。

私はくたびれているのに、父は私のためより自分のためで、それを我慢できづ強要した。


断れば治療費を払わないとか、ごねていたんだと思う。

どちらにしても救われなかった。


こんな立場は、私の望んだものではなかった。

受容と優しさばかりを求められた。


ありじごく


旅立つことができない私はありじごくにいた。

家族がみんなで私を生け贄にし、養分をすいとり…いいように扱う


こういうのをはじめた人間は母なんだ。


それ、絶望でしょ。


人間不信にもなるし、医者に同情されるよね。

すごく異常な家族


みんなが私を利用した。


利用をあまりしなかったのは、弟だけだった。

だけど、家族の中でマウンティングが始終起きて、戦いばかりだった。

私は争いがきらいで、


家族と祖母と同居していた時は、祖母が姉をとても嫌っていた。おばさんも姉の性分を小さい頃から嫌っていた。

ものすごい口を叩くので忌み嫌われていた。


家族同士が相手の力を奪うなんて、


今は関係を絶っているが数年前に姉が発達障害のグレーゾーンとわかったらしく、

たぶん母が発達障害だったんじゃないかとおもう。

そのせいで父はさびしい思いをし世捨て人みたいになり世捨て人みたいになったんだとおもう。


亡くなった母も異常なくらい冷たく合理的な

なくせに、人情かぶってる人だったと思う。

自分だけしか見えてないというか、ニコニコ元気な人だったが、家に入ると何だか劣等感まみれで暗いじめじめした人で冷たかった。


私はそう思う。


かとおもえば、父がなくなり両親がなくなり


部屋を借りる話の時には、誰も保証人になってくれず、2ヶ月以上、入院するはめになり出れない状態になってしまった。


べったりくっついてくるのに、わたしがこまると去ってゆき助けない。

これが私の家族。


子供だった私なんかを頼るところからしてスケープゴードにするところからして、情けない家族なんだ


だから

私のアパートの保証人は

先生の知り合いの女性がなってくれた。


こんなパターンある?

先生がなってくれたようなもので、見たことも会ったこともない赤の他人が私の保証人になってくれた。


くらい家族はいても私には冷たかった。

だから、こんな家族大嫌いで

私を利用しようとする人が大嫌いになり

ほとんどアレルギーで、

ちょっとでも利用されてる、寄ってこられてると感じると、病魔が襲ってくる。


だから、私は弱い。