仲間にいれて
仲間にいれてという勇気がなくて、ずっと仲間に入れてと言えなくて、
近くにいきたくて、でもいけなくて
勇気のなさは、たぶん、仕事の話をしてるんだから!あっちに行ってなさい!と怒られつづけたり、全く家で遊んでもらえなかったことからきたんだ。
母は父と工場をしていて、仕事が大好きで異常なくらい大好きで、子供より好きだったかも。子供よりずっとずっと仕事が楽しかったんだ
一緒に楽しむことをほとんどできなくて、
話したり、だらだらしたり、のんびりしたり遊んだり全くふれあいができなくて
ふれあい下手になったまま、
保育園や学校にかよい、社会人になって
私は挫折し病気になり
人への愛はつのるのだけど、つのればつのるほど、遠退いていくようで、近づいちゃいけない、近づいたら嫌われる、歓迎なんかされてないという感覚が壁になってる
あとは、重症対人恐怖症にかかってしまい、人が恐怖の対象であった30年が長すぎて、
まあね、どうしたらよいんだろ、自然なかかわりはむり
私はいろんなことを知ってるけど知恵もあるけど、人との距離感はつかめない。
心よ動きだせ、よぎる不安より
傷つく勇気をもう一度
泣けるよね、ずっと傷ついて傷ついて
病気になって、30年も苦しんで、
それでも、また人を信じようとするなんて
すねてしまってもいいし、
信じられなくなっても当たり前なのに、
繋がりたくて、
私が親しくしないと、さびしい人たちがいる。
心はまだ傷つく勇気があるんだろうか?
信じて裏切られる勇気を持てるか?
私の大変だった病気の年月を、どう捉えればよいのだろう。
本当に私は可哀想だった。いじらしく可哀想だった。不憫だった。悲しいことが多かったのに、強く頑張ってきた努力家だ。
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