場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

うなぎのぼり

もう、少しくらいの困難があっても、全然平気で乗り越えられるような気がする。


次はどんな問題が起きるのか?

起きても処理できるような気がする

ワクワクする。


すべてがうまくまわり


スタートできた


うなぎ登りに順調で


計画した通りに物事は進んでいると実感する。このコロナで世界中が混沌とするときに私みたいな混沌だらけな中を一人やってきた人間は強い、他の人よりも経験がある


離れてくれない病気が嫌になりうんざりしてきたけど、それでも諦めなかったから地道に倒れそうにひょろひょろに歩けなくなる日もあったけど


いろんなものと戦ってきた

今は無敵みたいにおもえて爽快です。


古いものを新しいものへ


なんにもできなかった昔は、話せないから歌をうたい、カラオケをしたし

歌がうまくなった。仕事も就かなきゃ生きてけないからダメになっても広告で次を探し、履歴書を書いて面接に行った。


ずっと病気だったけど、引きこもりたかったができづ、、、くやしながら働いた。


引きこもりが贅沢なうらやましい人たちに思えて嫉妬した。


次々ダメになっても仕事をした。私には仕事が必要だった。

写真屋さん奥さんになぜか叱られその日に解雇、ケーキ屋さん人見知りがバレてクビ、饅頭売り、花屋、立ちミシン工場速くできるのでほめられた、ガス器具製造、車の修理屋、酒屋の店員、コールセンターこれはすごくよくできた、いわし料理の店、そば屋の店員、日本料理の店員、レジ、事務、パン工場二件、大手建設会社のパート辛かったけど何とか出勤した、ドラッグストアーの品だし、弁当屋、弁当製造工場、ジャスコのデリカ、ジャスコの早朝品だし、喫茶店の店員、パーティー料理の従業員、老人ホーム、ウェートレスこれはすごくほめらたが過緊張でどん疲れで2日でギブアップ、ミニストップの店員、運転手……


などなど、できるものは全てなんでもした。


対人恐怖症がひどくて、社会不安障害で

いつも恐怖や不安があり疲れやすく、いつも不安なまんま、びくびくしながら、

そんな心境でひび仕事をしてきた。ずっとそれを隠してきた。


なにもどうすることができづ、

わかんないから

とにかく、努力で

仕事をしようと頑張ってきた


アホだから。


社会を知らない社会不安障害のアホなわたしだから、どう治したらよいか誰もおしえてくれなくて


でも、すごいがんばりたくて、がんばりたくて


走るしかなかった。


それ以外なんにもできなかった


努力したくても、できないことは最もつらいこと


病気の方が仕事より、全然つらく

体力もうばう


このことを世間は知らない。