場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

医者の情け

私は主治医の知り合いに賃貸の保証人になってもらった。


家族はなんにもしてはくれなかったときに


昔はどんなセーターだって、3900円したし980円とか500円とかなかったし、

毛布だって高くて私は買えなかった。100円ショップもなくてコンビニも少なくて。



そんなとき500万の貯金が仕事ができなくて

なくなってゆくと、通勤費や世間知らずがゆえ心身を休めるため不安と孤独を休めるために入院したりして、、お金が飛んで行き


最後にはお金がなくなり

お金がなくなるのがこわくて、こわくて

とうとうそうなり、(`Δ´)


(*`ω´*)


((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル


つらかったよな


ふるえたよな。


しらないうちにソーシャルワーカーが私を生活保護にしていて、


10万かの37000円は家賃、10000円ちょっとは光熱費、あとの5万ちょっとで食費から何からすべてを賄うのだが


中々うまくいかず、家賃が払えないくらい使ってしまったりして、足りなかったり

不動産からチクチク言われ、待って下さいといいながら謝り、なんとか次の月に返したりして、滞りないように払ってゆくのが大変だった。


いつもお金のことも考えなくちゃ、それ以上はどこからもないので。


それを主治医に話したら


遊びたいよね、今のお金は少ないよなと言ってくれて、私を責めないので、25くらいの時だったけど、

私に必要なのは休養のための入院と、薬と仕事と、強烈な世間知らずと人間不信なため、社会がこわくて、ストレスだらけで、


たまにいくカラオケや、みんなといく喫茶店が私の楽しみで、アイスクリームを食べたり、それが楽しみのすべてだった。だけど、そんな事でもしてたら生活費なんてあっという間に飛んでった。


旅行もどこへもいけない、お金がない

少しでもためなきゃ死だ。誰もそれ以上は助けてくれない。


生きるか死ぬかが常にあり


誰も私が生きることを応援なんかしてくれずひたすら孤独で


だけど、


初老だった主治医は、私の事を抱き締めたいほど大切に愛らしく思ってくれていたような気がする。

私はあなたを一番重点的に診ます、あなたのようにその若さでその環境な環境の人は私の患者にはいないから。


一番大事に大切に診ると私に言ってくれた。

その熱意が当時はわからなかった。

ただ先生は確かに私を甘やかしてくれた。


許してくれた。わかってくれた。


それだけのお金じゃ少ないよな

だけど先生が増やせるわけじゃないから。

どうしたらよいんだろうね、困ったね。


みんなは私を責めたけど。


たぶん、主治医の娘さんは、

私よりは十分に生活してるだろうし、私のような悩みを持つことはないんだろう。

私には多大な悩みでも、人に批判されようとも。


そもそも生まれ育ち環境が違いがあり

それにより

変わるくらい、そんなくらいちんけな違いが多大に追い詰め、みじめにしたりする

偏見や差別な世の中の差に……


意味なく、苦しめられる人たち


悪くは無いんだよ…


私も当時の初々しく、誠実で澄んだ目の


思い悩む25歳の女性がいたなら


励まし、付き添ってあげたいと、自信をもち明るく幸せを手にしてほしいと抱きしめ慰めたいと思うと思うんだよね。

私は主治医にたぶんそう思われたんだとおもうと、


主治医の真摯な想いというのがあったんだなとその思いやりの心がわき出るその精神に頭を下げたい気持ちになり、寄り添いたくなるんだよね。

その思いや願いは切実であったと思うから。