場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

知るたびに

私という人間を受け入れてくれなかった家族


途方もなく遠い、果てしなくすぎてみえない


わからない、それがすべて


大きな声で泣いても叫んでも、母はきてくれなくて、聞こえていても仕事を優先した。

声を出すのも疲れて床につっぷしているとやっときて、助けてといおうとすると私の声をかき消して喧嘩両成敗と言った。


ショックだったなにを言ってるの?と小学生だった私は思った

泣いてる私、ショックを受けてる私、そのまんまの私を受け止めてもらえず助けてもらえず私は2つに別れた。


泣いている方の私は生きていて

ショックを受けている私は心臓で


生きてきたいとおもうのだけど

生きる勇気がほしいとおもうのだけど


守ってくれるものがなんにもなくて、


ただそこにいることしかなく

ゆだねるしかなく私は支配されて


違和感だらけで


はやくどこかに行きたいとおもうから

泣いたり


なのに、泣いたまま放り出され一人にされてなんにも見えなくて


悲しくて


はやくどこかに行きたい自由になりたいと思うのに


帰る場所はいつもなくて


なんにも安心できなくて


いつも勇気がでなかった


ふりしぼった気持ちを台無しにされるなんて


勇気が出そうにもでなくて


次に行けなかった。


行きたいのに行けなかった


なのに  


勇気がないと私はまた責められたんだよね。