場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

私のキモチ

私のキモチを受け入れてくれる人々


わかってた


と言ってくれる人々


だから、もう隠して黙って臆病にしてる私でなくてよいと知る


自分の思ったことを言うことを喜んでくれて


言葉というツール


お互い使って


私はなるべく話すようにして


こんなことをわたしはかんがえてるよ


思ってるよ


気持ちを伝える


愛は認める


悲しいのはもう自分がどこに行ってしまったのかわからないんだよね


わかってるのかわかってないのかも


でも、


人の話も聞けないくらいパニックになって


死んでしまった友人のように


私はずっと人の話が全く聞けないくらい自分が満杯で


それが何年も心が重くて


否定、すてられた


言葉や存在は


どこに気持ちを捨てればよいのか


捨て去れば


私は私ではなくなれる


つまり


いつものように自分を見失う


余裕のかけらもなく


それが普通で



ねぇ、


私をそこまでそこまで


追い詰めたのは誰?