割れ窓理論
どんな社会でも割れた窓にはごみでも何でも放り込んでよいという心理が働き
人はその心理に勝手に動かされ、本能のまま
無知な人ほどそうで。
何もかもを失った情けのないように写る私に周りの虚像を生きる病人たちは、こぞって馬鹿にし矢を放った。
人がいうのだ情けなさの局地をしばらく歩くに至った。
人が感じるのだ情けなさの局地
そして、その人それぞれに、わざわざ情けなくなった私の理由を勝手に言った。
様々だった
私の思惑など誰もわかるはずがなかった。
できるかできないか
破滅か
先の見えない幻のような淋しい孤独な情けなく映る道を歩いた。
情けなく思われるんだと知った。
誰も私の行動を理解する人はいなくて、医師しか知らなかった。
だけど、苦しいまま優雅に生活するか
地に落ちて危険でも病気を治せるかも知れない方を選ぶか
二者選択に医師は悩んだが
私も悩んだが
解決策がわからない以上、解決できなくて苦しみつづける道を選ばないのであれば、自分に厳しい道を歩ませるのは仕方のない選択だった。
わからない世界へいかないと
自分が見えなかった。
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