場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

劣等感のジレンマ

友人が神経過敏で、隣近所の家の事を気にし過ぎて嫌な気分や憂鬱感が離れない生活をしている。


離れないからますます薬を飲んで鈍感にしようとする


しかし鈍感にする薬は体が慣れてしまえば効きが悪くなる。いづれは効く薬がなくなる。

もはや、そこにきているのに治らない


悩んで私に話すんですが、本当に人を治すのは難しいとおもう。


私は劣等感を感じてません。

劣等感がそんなにないと言ってる人は

劣等感を抱きたくない、克服できてると思いたくて、劣等感なんてないよ


というんだけど、重い気持ちは友人の場合、劣等感なんだとおもう。


私はだめ


だめのメリットはあるし、デメリットもある本当にダメな人はそんなにも悩まない。


愛されなかった劣等感や埋まることない寂しさが自分の存在にたいしての劣等感になったり自己不在感になっていることの仕組みを理解してほしいのだけど


気持ちや感情や現在がいっぱいいっぱいな人はとても人の話を理解するような余裕がない。


本当に難しいとおもう


結局、自分の納得することしか認めないので、治らない。


認めてしまうとなにかこわいことが起こるのか?起こらないのに認めない


なのに、1日中、悩む。


自分の感じかたや思いにふりまわされるのがメンタルの病


自分以外の世界がわかれば、大きくなれば

正確な認知に近くなり病も治る。


でも、本人が気づかないならどうしようもなく。。。


難しいな~とおもう。



私も治るまで塵が積もるほどの努力をした血が滲むほどに努力を重ねた。人に聞いた。相談した。うんざりするほど疑問や胸の苦しさを話を理解してる人に話した。


それはカウンセラーではなく身近な知人だったり


とにかく、人と違う孤独な悩みを抱えつづけている人に話した。


孤独な悩みを抱える人でなければ私の悩みはわからないだろうと感じてから、ずっと

固有の悩みを抱える人に相談した。


固有な孤独な悩みを抱えている人でなければ、

私の悩みなんてわからないから。どれだけつらいかも、孤独な人じゃなきゃわかってもらえなかった。



普通な人じゃ力足らずで皆、その苦しみを知らない。


だから相談にならない。


さみしい。


治らない。


すれ違う。


なにもかもゼロにする!と自分を突き落とし私は結局治った。


だから一回自分を死なせて生まれかわらせるほどの治療が必要なんだ。


そんな苦しさ、


誰もやらないよ…それより自殺する方が恐怖感を横に置けば楽だから。


もう終わりだって思った方が楽だ。


でも、それでいいの?とおもう。