場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

生活保護員は騙す

最初一回目の生活保護の時は

20代で時に貯金がつきて勝手に


生活保護にされていた私でしたが、


重度の対人恐怖症でした。


その生活保護時、病院とトラブルになり


病院を離れたんです。


受信時、私の荷物を探られ、理由を言っても理解してもらえなくて返してもらえなく、延々と、結局、そこで病院と縁を切ることになったわけです。


病院以外、なんにも知り合いがいない町で一人になってしまい


困った末に男性と付き合ったんです。わらにもすがる感じでした。


それで、3ヶ月パートで事務員で働けたわけですが、病気のせいか?数字のミス連発で、人前で固まるし、ちゃんと仕事ができてなく


現場に回されたわけで、そしたらブラジル人ばかりで、元気にファミリーで働いてる。

薄暗いとこで座って重たいものを、カギのようなものにかけてく仕事でしたが、

どんどん気持ちは暗くなり


やがてうつ状態が悪化、会社を辞めました。


当時、生活保護員は

挑戦してみませんか?自立の!大丈夫保護はいつでもまた受けられますから!


とぶっちょう面の20代だった男性職員が

はじめてみる笑顔で言ってきて、信じたんです。


それで、


仕事つづかなかったから、残念ですけど

もう一度受けさせて下さいと電話をかけると、


もう生活保護は受けれないよ!橋の下かホームレスになるしかないねっ!


と勝手に電話をきられた。


当時はパソコンなどなく、調べることができなく、知識のない私は絶望した。

嘘と冷たさに。騙されたことに。


それから


その地区の役所に向かい


話をした。


一時間くらい話しただろうか


お昼のチャイムがなり


そういうことだから


賃貸じゃないと保護は受けれないから!


あなたのとこは寮なので無理だから!


と昼御飯を食べにいってしまった。


所持金は一万円弱だった。


いくら、寮ではなく


賃貸の契約をかわしていて


会社以外の人も賃貸で住んでいる


疑うなら見にきてくださいと言っても


ああだこうだ並べた。


わたし、重度の対人恐怖症でしたから


知り合いもおらず


作った彼氏のような人にすがるしかなくなってしまった。


そのとき、申請書を出して下さい


といわなければならなかった


役所は出さざるをえないし


受理せざるをえない。生活保護は受けられた。


はずだった。


知らなかった。