場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

疲れで入院

若い頃、話せないまんま、重症対人恐怖症と全般性の神経症、うつ状態で


かんもくのせいで、親しい同級生もおらず、

親類ともうまく説明できづ、知ってても、

なんともならなかったし。


疲れて、知らない町で、


毎日社会がわからず、


だから、なにをしてよいか、目標も定まらず、感情も蓋をして生きてきたから、私が私を知らないで見つけられないまま、


重症対人恐怖症で一人暮らしになってた。


入院して、疲れを取り、入院して孤独と不安疲れを取り、なんとか生きながらえてた。


自分の輪郭すら、


盗まれたまま、仮面をかぶり、言われたままの私しか許されないという毒親洗脳。


それが強力過ぎて、自我すら弱々しく


話す言葉がなんにもみつからず



入院のある日、


極寒の夜だった。6人が同じ部屋に寝ていた。


巡回にきた婦長が、でていくときに目が覚めた。


私の布団が、全部真下に落ちて、パジャマ一枚で私は寝ていた。

にもかかわらず、暖房は9時に止まるし、そんな中、布団はずり落ちて、パジャマ一枚でいた。


婦長は布団をかけてはくれなかった。


冷たいよね。


それに、毛布が買えず、毛布なしで

寝ていた。

まわりの人は、布団や毛布を何枚も家族が持ってきていて、温かさやフカフカの中で眠るのに、


私は薄い病院の布団だけで。


当時は毛布も高くて私には買えなかった。


親がいるかいないかとか、家族がくるか来ないかとか、


そんなことで待遇も微妙に変わるのをみてきた。


病院以外でも、若い頃からお腹がいっぱいになるくらい、それがどういうことか、毒親さえいないことがどんなことなのか


思い知らされてきた。


せめて、普通に話せたり、喋れたりしていたら


自分の力で生きれたのにと


それだけは確かだと思ってる。


他人とは冷たいものだ。


家族は温かいものだ、普通は


だから、


他人しか回りにいない私は冷たくて


冷たくて


ほんとのぬくもりや優しさを賢さってなにかを


追い求めることになった。