場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

対人恐怖症を治すなら都会は向かない

離婚してから、病気を一から治そうと


私は都会暮らしをはじめた。


なぜ都会なのか?福祉が充実していて住みやすそうだったから、唯一の同級生だった友人が隣の市に住んでいて、かなり友人に傾倒していたから


閉ざしていた私には何の生きてくための情報も人からは入らなかった。。だから、都会を選んだが


都会の冷たさに翻弄され、圧倒され、世の中不信な私は更に更に、病気を重症化させることに結果的になったな~っていまおもう

都会にいた7年間は、、映画にできるほど、


病状が悪く、表現するなら、もうろうとしながら、助けるものを無我夢中で探しているような殺伐とした日々で


最初、引っ越してすぐ、


大家の息子が、私の自転車の置き場が気にいらなかったようで、ビルと地面の隙間に、私の自転車を無理やり押し込み、かごがひしゃけてしまい、自転車が傷だらけになったことに


恐怖を覚えた。


夜中の2時くらいになると、壁を一時間から二時間叩きつづける、地響きのような振動音がするし


最初は、霊の仕業か?とずっと気持ち悪くて眠れずに奇妙すぎて、そう思ってた。本当に不気味で困った。


だけど、一年以上過ぎてもなりやまない音に疑問をもち、


普通なら、苦情がでるはずなのに出ないのはなぜか?を考えると


大家が出してる音でしかなくて、その息子が年齢は中年近いのに、家にいるようだし、

大家の部屋からは休みになると、念仏のような大きめな声が聞こえて


本当に気持ち悪かった。


私は病んでいたので、現実に起こっていることを冷静に見ることができなかった。


自転車だって


あんなにひどくされたら、


器物損壊で交番に相談するなりすれば良かった。なのに、そんな余裕すら、私の中には全くなく


ただ


日を過ごすことだけで大変だった。


スーパーでは、緊張のあまり、パニック発作が起こるし


毎回毎回大量の汗で、息も息切れしさ乱れた歩くのが苦しかった。


歩いて歩いた先に苦しいことが待ってるのはつらかった。


本当に都会は常識が乱れてて


繋がりも個々で


町全体には無くて、


電車に乗るのもほんとにつらかった

大量の汗や呼吸の乱れ過緊張

そこしれぬ恐怖感で視線や…すべてが小さなナイフのようになり襲ってくるようだった。


そんな感覚をしてるのは私だけだと思うと更にひどくなった。


いつもいつも当たり前に


息切れしながら苦しくて歩いてた。


ここの町は、


自然がある


町と自然が共存し、人の成り立ちがわかる


都会の狭い土地に建てられた奇妙な狭い空間より


こちらの方が私には生きやすい


いきなり知らない人がいる電車とか、

いきなりマナーを要求される場になることもなく


少しのんびりしていて、


町に住む人が


都会より言葉数が多い


街中をジョギングしていても


おはようございます。と見知らぬ人に


言われる。


人と人との繋がりは心の病を緩和してゆく


最初は、


言葉数が多過ぎて嫌だとか、面倒くさいとか

鬱陶しいとか思ってたけど


今は大丈夫になった。


町を汚さない


和を乱すものや他者を無視した行動をする人は、決して注意はされないけど信用はされない


町内会の活動が活発だし


社会不安障害もよくなり


私の社会への意味不明な奇妙さは無くなりつつある


対人恐怖症は過緊張に変わり


たまに重症対人恐怖症のような


心境にまで舞い戻ってしまうことがあるが




這い上がれないわけではない。


それを繰り返し、心の健康を取り戻し


活躍できる。


本当にそのところはしあわせだ。