場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

努力家で負けず嫌い



評価はされないけど、


努力家で負けず嫌い


三番目にかかった病院のかなりお世話になった初老の先生に、負けず嫌いですねぇと20代半ばで言われた言葉が忘れられない。


負けず嫌いなの?と思った


当時、自分のことが全くわからなくて

どんな人なのかも認知の歪みがあり過ぎたのと、人と密に接してこなかった経験のせいで

相対するものがなく、鏡がない状態だった


私は家庭に恵まれなくてそのことを先生はかなり着目し、可哀想だと言ってくれ、そこまで家庭に恵まれない人は、私の患者の中であなたが一番ですと


そう言った。

だから、私はあなたを一番に診ます。


一番力を入れて診てくれると言った。


私の家族は、


非常に勝手で冷たい家族で、私は一番優しかったから病気になったそうで、私は優しいのだそうだ。

それもピンと来なかった。優しいからスケープゴートになったんだと言うことで、スケープゴートとは群れから外れる生け贄として家族から必要とされ、最下位におかれ利用搾取しまくられるという、一番馬鹿にされ、罵倒される存在それが私だったようなのだ。


なぜ、優しく生まれちゃったんだろう?


みんな仲良くあたたかい家庭で平和にとそれだけを願っていた。


母も父も弟も姉も、みんな団結しないで

戦っているような


そんな中で一番楽しかったのは、テレビなんかをみて、きょうだいで腹をかかえて笑ったことだった


楽しいことも子供だったからあった。


だけど、近寄ると拒否されるような家族だった。


そんな感じ


姉などは、私の唯一の勉強机を鼻くそだらけにしてたし、それも知らないまにだ。横一面、黒っぽい姉の鼻くそが大量についているのを発見した。


泣きたい気分だったし、そんなことをする姉から離れたかった。


こわかった。なにを考えているのか全くわからず

今から数年前に発達障害のグレーゾーンだと姉から聞いたが、グレーゾーンで年をとるごとに人間関係失敗ばかりしていると


超エリートの姉から聞いた。


そんな姉に潰された私は馬鹿みたいな話ぶりだった。


私は姉の幼少時代からの執拗な虐めのせいで

重症対人恐怖症になる原因を持ってしまった。

簡単な対人恐怖症ではなく、根本からの重度の対人恐怖症で


それは、母がいつもいつも泣いて助けを求める私を無視し、話を何も聞かない態度とも重なり


自信をなくして言った。


安心感もなにもなく、いつ襲ってこられるか

ニヤニヤして笑ってる姉には、優しさのひとかけらもなく、ただただ私を虐めた。


いじめている感覚もなく、当然のように当たり前に


私は争いが本当に苦手で、嫌で家族で争いなんてしたくなく


本当に困って過ごした。


つらくて


死んでしまいたかったが


唯一私の生きる道を作るものがあったから

なにもない家庭や学校のほかに


それは将来

大人になれば


自由になれる!


自由は最高!


だから生きてこられた


実際は、病気にかかり苦しむ生活になってしまうのだが


ついていなかったな


過ぎたことはもう戻らない


親戚に姉から相当いじめられた恐怖を話しても、なぜかそこに返事をしてもらえない

スルーされる


どんだけ心に傷をおったか


絶縁することとなったか


話してもそこをスルーされる。



親戚も発達障害なんだとおもう。


母の親族は


発達障害系なんじゃないかと


思ってる


あまりにも無頓着で無言でスルーし


そのことに着目しない


なんにも感じないようだ


スルーだよ?