場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

ホームレスシティ


この世は家、親が90以上になっても


生きてる人、実家がある人が


ふつうにいるらしい。


幸せなことではないか?と思う



20ですべて亡くなった昔のわたしは



ホームレスだった。



だけど、いまの世の中は


みな、ある意味、


きびしい


ホームレスシティのようだとも思う。

死ぬなんて思ったわたしは馬鹿だった



死ぬなんて思った私はバカだった。


健康の大切さ、


生きてれば愛される楽しみがあることを


知ることができるとわかったから、


死ぬなんて思った私はバカだったんだ。



また死ぬなんて本気で思う時は必ず来る


でも、そんなわたしにも


死んだっていいんだよ


でも、私はきっと


死ぬなんて本気で思っても、そんなわたしは


必ずたぶん、馬鹿だったって必ずまた


思って気づくのだろう


自殺はだめとか言わない


私はなんだか最近


いつ死んだっていいだと


自分の覚悟ならと思うようになったし


それは変わらないと思う。



死にたい死のう、自殺は自由だよ


誰も実は止められるものでもなく


私の場合は子ども親もないから自由だ


この年で知った


愛し愛されること


いろいろな人がいること


だから


今じゃなくてもいつか


きっと愛されていると


思えるときがあるはずだから


それがウソか本当かもあるけど


見ればいいさ♪


愛は必ずある。


愛される幸せを知らないで死ぬのは


早すぎる。

物を入れない



物を口に入れないことにした。


なにを?


物をすべてだ。