場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

理性と感情

昔、私を娘のように可愛がってくれた主治医がいて、


哲学的な話や心理の話、なんかを


よく話していたけど


先生!と私がべそをかいてくと、


診察にきてる患者を後に回し、別室で私の話を一時間も聞いてくれた事もある。


一番に私を診ると言ってくれた


あなたがそんな年で家族からも助けられず一人で一番大変な患者だから、と言われた。


今は、そんな精神科医なんて

いないと思う。


管理とかにがんじがらめで、自分の仕事のやり方や生き方を持ちながら患者と向き合いつづけられる医者なんて中々難しいと思う。

時代もあったんだろう。


その時に、理性と感情と


その話をした要は理性は感情に負けるものだけどそれくらい感情は強いという話。


あとは、


人間不信というものは、一番難しくて厄介で中々なおらないものなんだということ。

あとの病気は薬があり何とかなるが、人間不信だけは…


と話していた。


それほど人間不信ていうのは医者も手を焼くくらいに人の心に住み着き離れないもので、人を孤独にしなにもかもを破壊する。

私はその話を聞きながらそう思った。


どれだけ治そうと思っても医者は患者の人間不信の前では屈服するしかない数々の場面があったのだろう。



戦いに勝つか負けるかで


有るとき、主治医が話をずっとしていると

ついてこないか?というからついていくと

喫煙室で、タバコを吸いますか?というので、


私もその時はタバコを吸っていたので、ライターをさしだされタバコに火をつけ、二人で座りタバコを吸っていた。


私に話をさせたかったんだろうか


場所をかえれば話題もかわりやすい。


ただ


疲れたのか?


タバコが好きな先生だった。


あの先生は自分を名医だと言っていたが、

信じなさいという事だったんじゃないかなぁと思う。