場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

善と悪

病気にかからせようとする人


または人を困らせて喜んだり楽しんだりしてる人


反対に


病気をなおそうとする人


朗らかにさせてあげたいと願う人


善と悪とするならば


いつだって善と悪は人の心に住み着く


変わらぬ自分だけのしあわせを


見つけたのならば


悪にも善にもならないで


自由になれるような気が私はするんです。



あんな強敵な社会不安障害を私は戦い追い払えましたから、結局、自分を殺すくらいの思いをしない治らなかった。


病気に勝った喜びは誰のものでもなく誰に奪われるものでもなく私の自信になり心の中で失われることなく輝く自信になった。


あの強敵を倒した。あれだけ私を覆いつづけた苦しませつづけた強敵だった。

あんなもの治せる人はいないと思う。


社会不安障害も軽い人から重い人まで

様々あるけどたぶん私は重い重い羅漢状態だった。


簡単には剥がれそうもないくらい私に貼りつき私を支配していた。


微塵に残った自己が自分に住み着いた大半の強敵に勝った。


心の病って馬鹿にされたり、軽んじられたり


無いように言われたり大袈裟に思われたり


差別されたりされるんだけど。


けして見える病気やケガと比べて楽なものではなく、

心の病を抱えていると、どんな綺麗な景色もどんな美味しいご馳走も旅行も平凡な幸せも


すべて悲しい色にしかならない。

私にはそうだった。

すべて悲しいもの。


自分というものが無い哀しさってないよね

人と会話すらできないものなんだから。