場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

過去

過去を忘れて過ごしてくことはきっとできる。


だけど、忘れたくない。


過去を忘れて新しく生きていくなんて大変だけど、

素晴らしいと3年前迄の婚活を応援してくれた先生は言った事もあったが、


めちゃくちゃそれは素晴らしいと思う。


普通に何事もなかったかのような顔をし楽しんで、


病気を克服できなくて疲れて死んでいった人や、そういう人や自分の闘病を忘れたくない。


いくつもいくつもの思いや命が渦巻いているいくつもの嘆きやいくつもの叫びが何の音もなくこの世から消えた。

あわよくばいなくなってもと胡散臭げに鬱陶しがられこの世からすべての声が消えた。


何にも知られず音もなく死にゆく人たちに

なにでともらえる事ができるのか?


みんな大切な過去


大切だからこそ毎日を元気に自信をもち生きていける。


あんな過去捨て去りたいと思わなくなれた。


社会不安障害がなくなってから、

毎日がとんでもなく楽しい、なんにもなくてもこんなに楽だ。


それまではずっとエネルギーを吸いとられていた。

すべて闇だった。息ぐるしかった。


こんな時が訪れるなんて思わなかった。諦めない諦めない諦めない、絶対に諦めるなんて私の辞書にはない。


なぜかない


一人で病気になったわけではなく、他人や家族の何年も何年にも渡る悪い影響で病気になってしまったが、


病気になってから、みんな去った。


一人になり、やっと自由になれたと思った。

そして、治せると思った。

これからは誰にも邪魔されず一人で自由だし一人で邪魔されないで治せる!と思ってた。


私のスーパーポジティブな考え方がどこからくるのかわからないが、腹の底から湧くというか強がりでもなんでもなく何でもないのよね。



私は人の勝手が大嫌いで、人の勝手でいじめにあったり、嫌がらせにあっても、そんなヤツよりよほどたぶん私の方が強いってわけのわからない自信があって、


人の為に死ぬなんて有り得ない事で


本当に負けず嫌いのかたまりで


負けず嫌いは


娘のように私を大切にしてくれた精神科医から言われた


負けず嫌いですね


と半ばあきれたように


その意味は全くわからなかった。ああ


私は負けず嫌いなのかと思ったくらいで。


過去を背負いながら生きるなんて大変だけど忘れない。

みんな仲間だった。はじめて話した仲間。

回りは病人だらけ、バランスの悪い社会復帰だったけれど。


今だって、鬱病で

PTSDで悪夢は毎日みるし、新しい毎日は過ごさないといけないし、私はそんなのに簡単に適応できるほど若くないし、疲れやすい。


治る以前、一人暮らしで声がヘトヘトでかすれ出なくても必死に電話でハキハキとしゃべっていた。その時の根性が効いているのか、

過去と現在の両立はできている。



対人恐怖の世界を味わい


いまは外から対人恐怖の世界をみている


その風景はもう


複雑過ぎて何とも言えない。