場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

理不尽なこと

くしを落としたからひろって(怒)


なぜか、怒ってナースコールで呼ばれる。


行くとなぜか怒って


責めてきて、それがすさまじくて、


一番忙しい時に。


一通り怒鳴り散らし、ひどいことを

言うと、釈明し、謝罪した私に気がゆるんだような顔をした


自分は座ったままで拾え!という。


これは、違うので。



ずっとそうして人を疑いいつも自分が傷つかないように気を張りチェックしているのだろうか、疲れないのかなと思った。

私も人間不信なときはチェックばかりしてすごく今おもえば疲れていた。


人を怒鳴るのはエネルギーがいるし


ただただエネルギーがいる


疲れるだろう


世間のことがわからず怒ってばかりいた時もあっただから私はちゃんといまやってられる。


負けず嫌いだったからここまで立ち直れた。だけど怒るのはもうイヤだ。つまらない


損だし


機嫌なおった?すっきりした?


なんて言えないけど。


頭ごつんと叩いたら勝ったという事か?

勝つのか?


勝つってどういう意味だ?


本当に望んでることはなんだ


何に怒っているのかを自分でわからない人は世間にいっぱいいる


自分のほんとの気持ち知ることが解決になる


解決できることはした方がいい。


なんだかね、、


だけど、どんなエネルギーも


よい方向にさえ持って行ければパワーになる。


エネルギーは消さない方がいい。


私もカンカン怒れない

大人になれた。


年齢など関係ないんだなと


大人になるって

自分と切り離して考えられるってこともそうなんだし、相手の感情にふりまわされないのもそう。


怒ってる人に

怒るより


引いた方がいい。


あの怒りの主はツラいのだ。

これからも、あんな場面はまだまだ

でてくるだろう。


さみしさを人に怒りで向けると

人は去る