場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

仕事がダメになりつづけでも仕事探した理由

仕事を、探してくる名人だと言われた。


ダメになったら、次から次へと


何でもした。


どこか?はまりところがあるんじゃないかと


思ったから


それに私は一人だから生きていかなきゃならなかった。そんなことに失敗ばかりしていたら人間として生きていけない。


最低限のことシンプルに生きてくことは何より、それがなくてはと


切実だった


泣いてる暇などなく余裕などなく


例え1日しかできなくても1日分の給料は入るわけだ。


病気を抱えながら来る日も来る日も、仕事をした。


普通の電車しか乗れなくて、不安発作で背中に汗が滝のように流れるし


冬でもそうだったし、途中で降りながら

会社へいった


例え、つづかなくても仕事をしつづければ


何も努力しないより、なにかが身に付くと思った


それより、しないではいられなかった。


仕事をしたいのにできないなら、


どうやって治したらよいかわからないし


いつなおるかも


なぜ、不安発作、重症対人恐怖症


どうしたら厄介な病気がなおるかも


わからないから


ひたすら仕事を探し仕事をしつづけた。


努力をしないでいられなかった


とにかく前へ進みたかった。


死んだように生きるのは嫌だったし


それ以前に


狼に育てられた子供のように人間にすら


なれていないような


そんなすさんだ家に育ったんだから


自信がなく


それもあった。


なにより一人たち!


できなくても仕事!だった。


結局、それが経験になったし、


人間関係の大変さというものがあることさえ

全く知らなかったからこそ、いくつも行けた。


ほとんどあまり喋れなかったが

若さのせいで、

なんとか


なんにもできない


けど


わからないけど


なにをどう努力したらいいのか


目標さえもてない


わからないから、すべて外が


経験はたくさんできた。


今はあれだけたくさんの種類の仕事ができて


がんばれたのが良い財産になったと


思ってる。