場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

眞子さまは複雑性PTSDなんかじゃない

私は複雑性PTSDと診断され、かつ鬱病患者でもありますが、カウンセリングは現在受けておらづ、投薬治療、あとは自分自身の暴露療法というか、


現実の生活する上での添削作業により、自己修正、社会生活をする上での自分のありかたを常に体験しながら治療しているのですが、


自我崩壊するほどの、がれきの山の中に生まれるのが複雑性PTSDで、眞子さまはいわゆる世間知らずなだけで、特別つらい複数の場所や人からの身体、言葉での自分への虐待体験も成長の中でしてないと思います。


生きるか死ぬかの体験が成長期や幼児期に大前提としてあり、それがベースとなり、さまざまなトラウマを繰り返していくという、ベースありきの病気が複雑性PTSD


ベースがなかったら、そもそもならない

ベースがあまりにもひどいから、それで負ったトラウマにより、傷口がどんどん開くというか、悪化したり、可能したり、どんどんPTSDを重ねて行ってしまうのが複雑性なんだとおもうので、


三年ではなりません。


私は幼児期からずっと毎日毎日実姉から執拗に反復的にいじめを受けていました。

365日ずっと。

笑いながらケラケラと、遊ぶように嫌がらせをするから本当に卑怯だとおもったし、姉が学校から帰ってくる姿をみるだけで鳥肌が立こわくなってしまった。

本当に嫌な暗い気分に毎日なった。


あとは、保育園からずっと家から外にでると一言も話せない窮屈な状態が、高校までつづき、それにより、学校でいじめ仲間はずれのターゲットに常にされ、なぐるける悪口など浴びせかけられた。


ずっと母は助けてくれなかった。


私の痛みにかなり鈍感であった。


姉からのいじめは執拗だし、父は毎日朝から酒をのみ、家庭を混乱させ、不幸だった。

子供にも意地悪、悪口三昧をし、めちゃくちゃだった。


母は暗い顔をし泣いていた。

愚痴もきいた、喧嘩は止めに入った。


そんな私は壊れた。


こんなベースがあり、複雑性PTSDと診断を三年前に新たにされたのである。


眞子さまは、複雑性PTSDなんかじゃないですよ。


あんなに大事に育てられ、


ゴミや雑巾みたいに育てられた、生きてきたのが複雑性PTSDになる。


まわりの人間が悪いのだけど、環境に相当ひどくめぐまれなかった人間なんです。


私が20代重症対人恐怖症と診断され、そのご全般性神経症と診断はかわり、うつ状態も加わったりしたけど


重症対人恐怖症の気分や気持ちに今だってなり人がこわくなり、不安定になってしまう。。フラッシュバック

過去と今が混乱し混在するものが複雑性なのであり


眞子さまの誇大広告は、

治療している苦しい中を生きてきたものをまた

苦しめるのです。


メンタルの診断名というのは的確にしなきゃならないし、それをしなきゃ治療にならない。


だから、


悪口がやめば、治るなんてものは

今、悪口がやめば治るなんだから。


複雑性の場合はいま、悪口を言われてるから悪くなるのではなく、もっともっと深くて触れない場所に傷口があるので、触れないんです。


眞子さまが仮にその病気だとしたら、一番軽い、ちょっとその特徴が少しあるくらいなんじゃないか、ただそれだけ。


嘘八百です。


私たち、苦しむ患者の治療への妨害にしかならないです。