場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

ボロボロと崩れる足元

先生、私…ブルブル震えるようなこわさや


おびえるような気持ちを


やっとのこと、振り絞り言葉にした。おそるおそる


私、なんにも持ってない


成功した人生も家族もお金も、ずっと病気を治す目標だけを追い続けてここまで良くしたけれど、他のすべて手にできなかったし、すべて捨ててしまった。


なんにもないんです!


四年前のこと、当時の主治医は生活の相談をずっとしていた

はじめのころは、なんにもアドバイスをくれず、苦しむのは私一人で、助け船も出してくれない不能な先生と思っていた


ある日から


先生は病院にこれたことを褒めてくれるようになった

私が地下鉄にのり、JRに乗り換え、ひたすら道を歩き病院に行くのには、人中を通らねばならず


冷や汗をかいたし、不安だったし、

不安の中を歩くのは大変だった。体力もいった。

負けず嫌いな私だからできただけで


負けず嫌いでなければ、行けなかっただろう。


よく来ましたね。大変だったでしょう?

と笑顔をむけて褒めてくれるようになり、たぶん治療の一貫だとは思ったのだけど、少しずつゴールに向かうのが楽になった。



病気がよくなったところで、私は何にもなかった。


ただのアホやん。


情けなくなって


ガクガク震えそうで落ち込んだ。


こんな人生ある?


そしたら、先生は


治してきた努力やその力がそなわった


と言ってくれた。


何にもないかもしれないけれど


そうだな


これからは、一年を8年分過ごすつもりで


やりたいことはすべてやり


恐れず


生の私になりたい。