場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

運転免許だけは平等

私たちは


様々なことを学んで実社会に出て泳ぐ


私が運転が好きなのは、唯一平等な


スタートラインからみなはじまってるからも


ある。


負けたくなかった日


なんの力もなくて


負けてばかりの日


すべて追いつかなかった日々の連続の中で


唯一運転だけは、一斉スタートで学べて


なんのマイナススタートもなくプラススタートもない


私は運転だけはうまい

うまくなったのはパニック発作を克服してから。それまではごくごく普通だったけど、運転は好きだった。


私に平等や自由をくれた。


だから、うまくなりたかった

負けたくなかっただからルールは確実に守る


本当は自分を発揮して学校でちゃんと学びたかった。でも生きるためにはできなかった。


子供もちゃんとできたのにあまりにも過酷な状況で一人で大変過ぎて流産してしまった。


そんなことさえ考える暇なく生きてきた。


今の主人は、体調が悪いと水さえ飲まない


それでいて、点滴にえらいお金をかける。


本当に理解できない。


本気で生きたいなら、水飲めよ。


飲みたくなくてもちゃんと考えれば


わかるだろ


飲めよ。


嫌だ嫌だと飲まないけどほんと信じられない。


苦くてもつらくても、飲みたくなくても


飲まなきゃ生きてけないから


私なんかいろんなことを飲んで乗り越えて


涙を涙で洗い流し


いま、やっと笑えて生きてるのが楽しいんだよ。


自分を不幸にするもの、すること、不幸だと思うことさえ、生きてくには要らないよ。