場面緘黙おとな女子のブログ

場面緘黙の経験者が当時、現在を語ります。

景色

私を癒すものは数少なくて


端から端まで自分では探したのだけれど


1日、1ヶ月、一年、探しても


待っても見つからないようだった。


先生にも答えを求めて癇癪を起こしたこともあったけど、わずかに不安だらけの世界のなかで


朝陽の中で影を作りながら咲く一株の赤いチューリップとか、誰もいないところの壮大な岩とか、揺らぐ緑とか、一番好きだったのは果てしない水平線と船しかみえない海だったけど


そのどれもかもが、なにか一つ足りなかった


いつまでも、ほっとなんかできなくて


癒されることはあまり海以外なくて、



なぜだろう?と思っていた


人は綺麗な景色を見ると癒されるというじゃないか


なにか他のものがなにかあるに違いない


私はそう思った。


もしかして、人なのだろうか?


人のこころの景色、世界観


こころ


それも景色なのではないのだろうか?


この世の


人が脅威な私はアレルギーしか起きなくて


まったくうけつけなくて


そのせいか、いつもどこかへ行ってしまいそうとよく言われた。


誰ともつながっていない時間がながかった


つながっていないではなく


繋がれない


そんなこと意識もしない自分だった。


景色があるならみたい。